The smooth and funky sound of prime-time Japanese reggae pop in the 1970s and ’80s fired up an obsession with Jamaican music that persists to the present day. If there is a year zero for the introduction of reggae music to Japan, you’d be forgiven for thinking it was 1979 when Bob Marley and the Wailers toured the country, trailed by an entourage of journalists, photographers and fans ready to spread the message of the music into all corners of Japanese society.

固く冷えた こぶりのトマト
出来るだけ うすく切りたくて
といだナイフに くちびる寄せる
テーブルには こぼしたワインの
うすいしみ 窓を開けた

ほとんど空は となりのビルに
負けていて 一・二時間だけ
希望の待てる ひるさがりです
サンドウィッチに はさむトマトさん
もっとまっ赤に もえてほしい

犬でもいればたっぷり
つくるシチューも
本格的なソースも
やめて 電子レンジ
あつくならない
お皿の気持

となりの部屋の引越し
カベがゆれてる
私は慣れた手つきで
ひとり 電子レンジ
日曜日だわ
それだけのこと

ババ専でデブ専。僕は中学生の頃から太った女子や太った歳上(40~70代くらいまで)の女性に魅力を感じるようになりました・・・ひょっとしたら似た括りでこっちもそっちの趣味なんか。じぇじぇじぇ。平山みき 1949-08-22 生まれ (年齢 73歳) 「デビュー50周年 最後かもと思いましたが2年過ぎ沢山の方々に支えられ励まされまだまだ歌いたい気持ちがうずきました。」まだまだ疼く、電子レンジ普及への切り込み隊長の平山みきさんのレゲエ曲「電子レンジ」が見事に収録されてたのが、イギリスの Time Capsule レーベルのイギリス人が、日本でレゲエと融合した昭和の歌謡曲を中心に集めた魅惑の和製ラバーズ・ロックアルバム「Tokyo Riddim 1976-1985」ちかごろ何故か運転免許証を電子レンジでチンして免許証をボロボロにするひといるみたいですが。ご苦労さまでした。

当時、少しづつ日本の大衆の耳に届き始めていたレゲエは歌謡曲やシティ・ポップと融合する事で、イギリスで同時期に起こっていたラバーズ・ロックとは全く違ったルートを通ってそのポップ性に辿り着く事になった。ここに収録された日本のプロデューサーやアーティスト達はジャマイカからの政治性が強いレゲエの直接的な影響よりも、むしろポリスや UB40 といった英国のニューウェーヴポップを経由したサウンドからの影響が強く、マーリーが「パンキーレゲエパーティー」で歌ったような「社会から拒絶された者たち」向けの音楽ではなく、あくまで急成長するバブル前の日本の経済に放たれた商業的娯楽音楽の一種としてアルバムの奥深くに存在していた音楽だった。

小坂忠

平山みきさんの遺影かと思いきやそうじゃなかった。真夏の出来事はすてきです。

Aneka – Japanese Boy

Japanese Boy は、1981年7月にリリースされたスコットランド出身のシンガー、Aneka のヒット曲です。

He said that he loved me, never would go
Oh oh, oh oh
Now I find I’m sitting here on my own
Oh oh, oh oh
Was it something I’ve said or done
That made him pack his bags up and run
Could it be another he’s found
It’s breaking up the happy home
Mister can you tell me where my love has gone
He’s a Japanese boy
I woke up one morning and my love was gone
Oh, my Japanese boy
Ooh, I miss my Japanese boy

Morgan Saint – It Hurts To Be Human